はじめまして。イラストレーターのサイトウカエデです。
今回は人となりを何となく知っていただければと思い、イラストレーターとして活動するまでの経緯をまとめました。
小中学生の頃
小さいころは色んなことに興味があるこどもでした。遊びのひとつとして自然と絵を描いていたように思います。
また、曾祖父が画家活動で個展を開いていたり、祖母も趣味で絵を描いていた影響もあり、他の家庭より若干絵に触れる機会が多かったのかなと思います。
この頃は、オリジナルの絵を描くよりもなぜか模写が好きでした。正確に再現できたときの面白さがあったのだと思います。
特別マンガやアニメのイラストを描きたいわけではなかったのですが、暇なときにゲームの攻略本や漫画を模写していました。
他にも多趣味な祖母の影響で、生け花や編み物などもかじったり。ものを作る楽しさや美しいものに興味を持つきっかけになったと思います。
また、小さい規模ですが何度か表彰されることもあって、より楽しいと思うようになりました。
高校生の頃
高校生のときは勉強や部活で忙しく、ほとんど絵を描いていませんでした。部活も、集団の中で絵を描くことが向いてないと思い美術部ではなく運動部に。
進路選択では、美術系を目指すか安定をとって資格をとれる職業を目指すか迷いました。
しかし、受験のために絵を描くことの抵抗感と将来的な見通しの不安から、最終的に薬学部に進学しました。
このときは、社会に出てからやっぱり絵を描きたいと思ったときは思い切ってやろう、という気気持ちで決めました。
大学生の頃
薬剤師の資格を取る学部に入ったので6年間通いました。暇だったのは1年生までで、2年生以降は実験やレポートや試験やらで忙しかったです。
試験のためとはいえ、内容のほとんどが暗記で興味があまり持てず、モチベーションの維持に苦労しましたが、無事薬剤師免許は取ることができました。
この頃もこれまでと同じように、暇なときに模写を続けていました。その辺にあるコップや消しゴムなど、鉛筆でデッサンのようなものもしていました。
社会人~現在まで
絵を専業にするきっかけ
卒業後は調剤薬局に就職しました。風邪などの急性疾患から、がんの末期状態で在宅緩和に入ってる方など、いろんな病気を抱える患者さんと関わりました。亡くなっていく人もおり、健康でいられることのありがたさと時間は有限であることを教えてもらいました。
そんな中で自分も台風で被災したり、目の病気の手術を経験します。
台風のときは、床上浸水で退去することになってしまったので、1か月ほどホテルを転々としてしのぎました。
目の手術も進行予防のためで、すぐに失明するようなものではなかったのですが、術後1週間は激痛で普段の生活はできませんでした。
幸いどちらも短い期間で普段の生活に戻ることができましたが、あたりまえに過ごしていた生活が突然変わってしまうことを身をもって知りました。
こうした体験が生き方を見直すきっかけになり、自分が今後何に一番時間を費やしたいかを考えた結果、絵を描くことに真剣に取り組みたいと考えるようになります。
絵を描くと決めてから
とにかく上手くなりたいと思い、教本やネットの情報を参考に練習しました。
線を追う描き方から構造をとらえる模写に変え、なるべく描く時間を増やしました。平日は帰ってから1~2時間確保し、休日も疲れていなければ6時間くらい描くようにしていました。
正社員の頃はとにかく体力と時間がなかったので、ちょっとした隙間の時間に人体の構造や光と影を観察したり、見える景色のパースがどうか考えたりしていました。
その後、転職と時短勤務を経てシフトしていきながら、最終的に2024年1月に退職し、現在フリーランスとして活動しています。
何をどんなふうに描きたいか
自分の好きなものを掘り下げていくうちに、「静かな雰囲気」「ワクワクするもの」「懐かしいノスタルジーな雰囲気」「生き物や自然」が好きだと気づきました。
まだまだ模索中ですが、
「こどもの頃のように好奇心をもって、何気ない毎日を過ごすこと」を大切にした絵を描いていければと思っています。
遠回りしながら今に至りますが、見る人が穏やかで前向きになれる絵を提供できればと思っています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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